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横浜地方裁判所 昭和43年(ワ)376号 判決

原告

青木重郎

ほか一名

被告

田園都市開発株式会社

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告は原告青木重郎(原告重郎という)に対し金二、八四三、二一二円、原告青木とらゑ(原告とらゑという)に対し金二、三四三、二一二円、及び右各金員に対し昭和四三年三月二四日以降完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並に仮執行の宣言(訴訟費用負担部分を除く)を求め、その請求原因として次のように述べた。

一、原告重郎、同とらゑの長女亡弘子(昭和二二年一〇月二八日生弘子という)は、昭和四一年一二月五日午後四時頃自転車に乗つて茅ケ崎市矢畑八九七番地先県道五八号線を寒川方面に向い右道路左側を通行中、被告会社保有の練や自一七八八号大型ダンプカー(被告車という)を業務上運転していた訴外榎本満夫(当三六年、訴外榎本という)が、右県道と左方の私道の交差する交差点(本件交差点という)の手前一〇米位の地点から本件交差点迄の間に於て弘子の右側を追越した直後本件交差点を浜之郷方面に左折しようとした際被告車の左側を自転車に乗つて並進していた弘子の存在に気付かず、従つてその安全を確認しないまま左折した過失により、同所において被告車の左ボデイ部分を弘子に接触させてその場に転倒させ、同人の両大腿部を被告車の左後輪で轢圧し、よつて同人に対し両大腿部挫滅創等の傷害を負わせ、同月二六日茅ケ崎市浜見団地所在の小沢整形外科病院において死亡するに至らしめた。

二、本件交通事故により弘子及び原告らの被つた損害は次のとおりである。

1  弘子の被つた損害

(一)  弘子の喪失した得べかりし利益金二、四四〇、三八二円但し、昭和四四年における中学卒業女子の平均月額給与金一八、三〇〇円に、平均年間特別給与金三五、九〇〇円の一二分の一の金二、九九二円を加算した金二一、二九二円、これから弘子の生活費を月額として二分の一を差引き、残額金一〇、六四六円を基礎とし、就労可能年数を四四年として、単利年金ホフマン式計数表により算出した金額

(二)  慰藉料金五〇〇、〇〇〇円

但し、本件交通事故による負傷から死亡に至る迄の肉体的精神的苦痛を慰藉すべき金額である。弘子はその青春にある若い生命を、むごたらしい交通事故によつて失つたので、慰藉料金五〇〇、〇〇〇円は少なすぎることがあつても多すぎることはない。

2  原告重郎が被つた損害

(一)  足踏自転車破損による損害金一一、三五〇円但し、購入価額の二分の一を計上、弘子が運転した足踏自転車は、本件交通事故によつて、後輪及び荷台、椅子、チェーン等破損して使用不能である。

(二)  入院治療の雑費 金一〇、四二五円

(三)  葬儀費 金五七、五七六円

(四)  香典返し費用 金七五、五五〇円

(五)  弁護士費用 金五〇〇、〇〇〇円

但し、調停及び訴訟費用として既に支出した金二二〇、〇〇〇円及び今後報酬として支出すべき金二八〇、〇〇〇円の合算額。

(六)  慰藉料金一、五〇〇、〇〇〇円

但し、愛児二人のうち、長女を失つた原告重郎固有の精神的苦痛に対する慰藉料である。原告重郎が本件交通事故によつて被つた苦痛、又将来被るべき苦痛は甚大である。

3  原告とらゑが被つた損害

慰藉料金一、五〇〇、〇〇〇円

但し、前同様の原告とらゑの固有の慰藉料である。

三、被告会社は被告車を所有し、本件交通事故発生当時これを訴外株式会社日本土木(日本土木という)に無償で貸与し、日本土木の従業員である訴外榎本がこれを運転していたものである。ところが、日本土木は、被告会社の下請負事業をしているというもの被告会社の一部門として包摂されるような関係もしくは専属関係にあつて、被告会社が訴外榎本に対し直接間接の指揮監督の権限を行使し、被告車の運行によつて利益を得ているのであるから、自動車損害賠償保障法(自賠法という)第三条の運行供用者の責任を負うべきである。そして、又同時に、民法の不法行為による使用者責任をも負担すべきである。

四、原告重郎、同とらゑは、昭和四二年七月下旬自動車損害賠償責任保険の保険金一、四〇八、八〇〇円を受領したので前記二記載の損害の内2の(一)ないし(四)の合計金一五四、八五一円及び1の(一)の内金一、二五三、九四九円に充当した。

従つて、二の1の(一)の得べかりし利益の残額は、金一、一八六、四三三円となるが、原告らは弘子の父母として、二分の一にあたる金五九三、二一二円及び二の1の(二)の慰藉料金五〇〇、〇〇〇円の二分の一に当る金二五〇、〇〇〇円をそれぞれ相続した。

なお、被告は葬式費用等金一三九、六八〇円、香典金二二、〇〇〇円を支払つた旨主張するが、これらは右損害額算定の見積外のものであるから、右の損害額には何等の影響もない。

五、以上のとおりであるから、被告は原告重郎に対して、金二、八四三、二一二円、原告とらゑに対し金二、三四三、二一二円及び右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四三年三月二四日以降完済に至る迄民法所定の年五分の割合による金員の支払を求めるため本訴請求に及んだ。

六、被告の主張に対して次のとおり述べた。

1  被告は、訴外榎本が事故当日本件交差点を九回も通つており、いずれも同じ方法で左折しているので、この事実から訴外榎本の無過失を理由ずけようとしている。

しかしながら、訴外榎本が九回も一〇回も同所を運転したというのは、割り当てられた一日のノルマを完成するのに、薄暗い夕刻に差しかかつていたため、無謀運転も辞さなかつたためである。そして又、その日のノルマの終りに近い回数の運転で、仕事からの疲労と気のゆるみ等から、弘子の自転車の進行も確認できないほどの不注意運転であつたことは確かである。

2  本件交通事故について、弘子には何等過失がない。本件事故発生当時、雨が降つていたといつても、ひどく濡れるほどの降雨でなく、いわばバラバラという程度の小雨であつた。弘子が傘をささなかつたのは、交通事故のないように、わざわざ傘をささずに運転したという注意深さを示すものである。弘子が、背の低い(一、四八米)女性であるから、自転車のスピードは時速一〇粁前後であり、その姿勢も正常で前方をよく見た安全運転を行つたものである。弘子が早く家に帰ろうとした意思をもつて、これに過失があるという理由にはならない。

3  被告は、被告車の運行に関し注意を怠つており、かつ、被告車には構造上の欠陥または機能の障害もあつた。

本件交通事故発生のさいの被告車は、積載制限に違反し、被告車検査証に記載された最大積載量六、〇〇〇瓩を超える一〇、三八〇瓩の山土を満載して何と四、三八〇瓩も重量を超えて運転していたものである。このような重量の積載による運行であつては、自動車の機能も正常に働かず、ハンドルも重く、ブレーキその他の装置機能も確実に操作することはできない。

被告は、かかる積載制限違反のないように監督すべきであるのに、運行上の注意を怠つたものであり、かつ、右事実は本件事故発生に重大な影響があつたものである。

〔証拠関係略〕被告訴訟代理人は、「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告らの主張の請求原因事実中、一項については、訴外榎本がその主張において弘子の右側を追越した直後弘子の安全を確認しないで左折した事実を争い、その余の事実を認める。二、三項は争う。四項中、原告重郎、同とらゑがその主張の頃自動車損害賠償責任保険の保険金一、四〇八、八〇〇円を受領したことは認めるがその余の事実は争う。五項は争う。

一、被告会社は、自賠法第三条の運行供用者でない。

訴外榎本が運転していた被告車は被告会社の所有であるが、被告会社が昭和四一年六月頃被告会社と別個独立で、専属関係もない日本土木に無償で長期、継続的に貸与していたものである。しかも、訴外榎本は被告会社の従業員ではなく、日本土木の従業員である。

このように、被告会社は被告車の貸与により、運行利益を得ていないし、運行支配権もないので自賠法第三条の運行供用者に当らないと考えられる。

二、被告会社が自賠法第三条による運行供用者であつても、同条但書により本件損害賠償の責任はない。

1  本件交通事故の発生につき、訴外榎本には何等の過失もない。

(一)  訴外榎本は、被告車を運転し、茅ケ崎方面から寒川方面に向つて時速約三五粁で進行し、本件交差点の手前約四〇米のところで、時速約三五粁から漸次速度を減じ進路をやや右側に寄せ、かつ方向指示器を示して左折の合図をし、更にバックミラーで左後方を確認したところ、普通貨物自動車が後方についているのを確認した。次いで左折する約一〇米手前で速度を約一五粁におとし、更に、左折するときには約一〇粁におとし、かつ再度バックミラーで左後方を確認したところ、右普通貨物自動車が三米位後方についているのを確認した。そして、左折の際左側の窓から窓越しに左側を確認し、左側の道路に入つて行き、後輪が左側の道路に入つた頃「ガチャン」という音をきいて急ブレーキをかけたところ、被害者弘子が被告車の左側の車体の後方に接触し、転倒していた。

(二)  このように、訴外榎本は本件交差点を左折するに当り、徐行運転をしており、方向指示器を出して左折の合図もしているし、バックミラーで二回左後方を確認した上、更に左側の窓からも確認しているのである。しかも、事故当日訴外榎本は本件交差点を九回も通つており、いずれも同じ方法で左折しているのである。このような事実を考えると、訴外榎本は自動車の運転手として、相当の注意をして本件交差点を左折しているのであつて、訴外榎本に本件交通事故の発生につき、過失があるとはいえない。

(三)  訴外榎本は本件交差点を左折する際、弘子と並進してはいない。被告車は右側によつて後、左折しているのであるから、もし並進しておれば、被告車が左折する前に弘子は本件交差点を通過しているはずである。

2  本件交通事故は、弘子の過失に基き発生したものである。弘子は、本件交通事故発生当日雨が降つていたので早く家に帰ろうとして急いでいたものであり。しかも雨が降つているのに傘をさしていなかつたのである。この事実からわれわれの経験に徴して考えると、弘子は相当スピードを出しており、しかも、前方をよく見ないで頭を下げた姿勢で自転車を運行していたものと考えられるのであつて、本件交通事故の発生は、弘子の過失に基づくものといわざるを得ない。

3  被告会社は、被告車の運行に関して注意を怠つていないし、かつ、被告車には構造上の欠陥、または機能の障害もなかつた。

三、被告は葬式費用等金一三九、六八〇円、香典金二二、〇〇〇円を支払つている。と述べた。

〔証拠関係略〕

理由

一、原告主張の日時場所において、被告車の左ボデイ部分と弘子の運転する自転車が接触し弘子はその場に転倒、轢圧され、両大腿部挫滅創等の傷害を受け、昭和四一年一二月二六日死亡したことは当事者間に争いがない。

二、被告会社が被告車の運行供用者であるかどうか検討する。

〔証拠略〕によると、日本土木は、資本金が金三、〇〇〇、〇〇〇円、本件交通事故発生当時従業員が一五人(現在は従業員六人)という小企業で、被告会社の宅地造成の仕事を専属的に下請し、下請工事中は、土砂運搬のダンプカーを被告会社から無償で貸与されるが、下請工事終了とともに被告会社のモータープールに引揚げられること、本件交通事故発生当時、被告会社所有の被告車(被告車が被告会社の所有に属することは争いがない)のほかにも三台位のダンプカーを無償で貸与されていたことが認められる。右認定に反する証人沖本和之の証言部分は信用できない。

右認定事実によると、日本土木は下請人とは言いながらも、被告会社に専属し、土砂運搬のダンプカーを無償で貸与されて、はじめて、土砂運搬ができる状態である。従つて、元請負人である被告会社の指揮監督が日本土木の従業員に直接間接及んでいるものと解するのが相当である。

そうすると、被告車の運転者が日本土木の従業員である訴外榎本であつても、被告会社はこれが運行供用者に該当するものといわなければならない。

三、そこで訴外榎本の無過失の抗弁について判断することにする。

1  〔証拠略〕によると、本件交差点附近における県道は、アスファルトで舗装され、幅員が七・五米あり、これと交差する左方の私道は、非舗装で凸凹のある玉砂利が敷かれ、幅員約六・二米で県道よりも狭い。そして、右私道は県道の左側線に六五度の鋭角で交つているため、左折車両は九〇度以上の転把を要する。従つて被告車のような大型車両は、一回のハンドル操作では左折できないので、減速した上、大廻りしながら左斜に進行し私道に車体の前部が進入した頃、重ねてハンドルを左に切つて左折を行わなければならない状況にあることが認められる。

2  〔証拠略〕を総合すると次の事実を認めることができ、これを覆えすに足る証拠はない。

(一)  訴外榎本は、本件交差点を左折するに当り、その手前三七米位の地点で左折の信号をすると同時に被告車の速力を毎時三〇粁ないし三五粁から一五粁位に減速し、バックミラーで左後方を見たところ普通貨物自動車が後方についているのを確認した。

(二)  それから徐々に県道の中央に寄り、交差点の手前約一〇米の地点で県道の中央から更に右に出て、左にハンドルを切つて大廻りをし、速力を時速一〇粁位に減速しながら県道を左斜めに進行し、前記私道に進入し、運転席の部分が私道に入つた頃に重ねてハンドルを左に切つた。

右大廻りをする直前、更に左バックミラーで後方を見たところ、右普通貨物自動車が見えたが、自転車は見えなかつた。

(三)  そして、被告車の車体の半分以上が私道に進入して殆んど左折が完了したとき、折から県道の左側端を寒川方面に直進していた弘子運転の足踏式二輪自転車の前輪が被告車の左後輪フエンダーの前部に衝突し、右私道上において弘子の両大腿部を左後輪で轢圧(弘子の両大腿部を左後輪で轢圧したことは当事者間に争いがない)した。

3  〔証拠略〕によると、次の供述が認められる。

(一)  「学校から約一五分か二〇分ころ位走つたとき、先程申し上げた事故現場付近にさしかかりました。その時自分は道路左側を走り、先程の天間製紙工場の正門を通り寒川の方にしばらく走つたころ、自分の後から来たらしい大型トラック(被告車のこと)が、自分のそばをしばらく一諸に走つたと思つたころ、その大型トラックが自分の走つている方向を妨げるような恰好で、自分の前に寄つて来るのを一米か二米先に見て、自分は危いと思いブレーキをかけましたが、その時は間にあわず、車のはじの方で引きずられ、自分が『助けて』と言つたときは車のタイヤに自転車と両足がひかれていました。」

(二)  「この事故で、自分はその大型トラックとしばらく並んで走つて、そのトラックが自分を少し追越したとき、自分は前を見ていましたが、その大型トラックがまがる合図もしていないし、まさか曲るとは思はないのでそのまま走つていました。」

4  右の供述中「自分の後から来たらしい大型トラックが自分のそばをしばらく一緒に走つた」「自分はその大型トラックとしばらく並んで走つて、そのトラックが自分を少し追越したとき」という部分からすると、弘子の自転車の速度は、後から走つてきた被告車のそれよりも稍遅かつたため、しばらく並んで走つて追越されたことが確認できる。

5  次に、訴外榎本が左折を開始した際(詳細は前記2の(二)で述べたとおり)弘子の自転車の位置について考えてみる。

先ず、原告らが主張する如く、被告車が弘子の自転車を追越した場所が、本件交差点の手前一〇米の地点から本件交差点迄の間と仮定しよう。

そうすると、被告車の進路、速度(前記2の(一)ないし(三)記載のとおり)と弘子の自転車の進路(県道左側端を直進、前記2の(三)、3の(二)記載のとおり)、速度(前記4記載のとおり)を彼此勘棄すると、

(一)  被告車が左折する以前に弘子の自転車が本件交差点を通過して衝突が起らない。

(二)  弘子の自転車の右側に被告車の前部が衝突する。

(三)  被告車の車体の左前部に弘子の自転車の前輪が衝突する場合は考え得られるが、前記2の(三)に記載した接触の部位、地点などは、経験則に照らし到底考えられないところである。従つて、被告車が弘子の自転車を追越した地点は、交差点から手前一〇米以上はなれた場所であり、訴外榎本が左折を開始した際は、弘子の自転車はすでにその後方にあつたものと言わなければならない。

右認定に反する乙第六号証(前記3の(一)の弘子の供述)、原告青木重郎本人尋問の結果は採用できない。

6  被告車が本件交差点を左折するに当り、前記のとおり左折の合図をして徐行しているのであるから、後続車である弘子の自転車は被告車の進行を妨げてはならないことになる。そして、本件の左折状況下においては、弘子の過失による進行を予想し、特段の注意をなす義務も認められないから訴外榎本が、前記2の(二)に記載したとおり、左折直前弘子の自転車を発見しなかつたとしても訴外榎本は尽すべき注意義務をすべて尽しこれに過失はないものと言うべきである。

四、そうすると、本件交通事故は、弘子が被告車の左折の合図を注意しなかつた過失により発生したこと明白であるから、爾余の点を判断する迄もなく、原告らの本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石藤太郎)

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